なか2656氏のブログ記事「AIで離職予兆を可視化するFreeeサーベイを個情法・AI事業者ガイドライン等から考えた」を読んだ。 これはなかなかに酷い。頭の中でサムライスピリッツの覇王丸の「あったまきたぜ」が響き渡るくらいに。 これは、新たなリクナビ事件だ。いや、雇用関係という逃げ場のない檻の中で行われる分、さらに悪質と言っていい。

正直、少し考えただけでも、

  • 個情法には明白に抵触
  • OECDの原則には明白に背信
  • ISMSに抵触
  • 労働契約法への抵触

と、論点がボロボロと出てくる。これは単なる「不備」ではない。「背信」だ。

怒りの根源:法的・倫理的な4つの背信

1. 個人情報保護法(APPI):騙し討ちのデータ収集

最も許しがたいのは、その「欺瞞」だ。

  • 第20条(適正な取得): 「偽りその他不正の手段」による取得は禁止されている。「匿名です」「安心してください」と従業員を信じ込ませて本音を引き出し、裏ではしっかり個人識別子(従業員ID等)と紐付けて離職リスクを算出している。これを「不正の手段」と呼ばずして何と呼ぶのか。詐欺的行為そのものだ。
  • 第18条(利用目的の通知等): 「組織改善のため」という美辞麗句の裏で、「危険分子の特定」を行っている。目的外利用(第16条)であり、明確なルール違反だ。

2. OECD AI原則:国際的価値観への冒涜

世界が必死に守ろうとしている「人間中心」の価値観に対し、このシステムは泥を塗っている。

  • 原則1.2(人間中心の価値観と公平性): 人権と自律性の尊重? 笑わせる。「匿名」と嘘をついて内心を探る行為のどこに「尊重」があるのか。
  • 原則1.3(透明性と説明可能性): 従業員は「自分のどの回答が『離職予備軍』というレッテル貼りに使われたのか」を知らされない。完全なるブラックボックスによる密室裁判だ。

3. ISMS(情報セキュリティ):セキュリティの自殺

ISMS(ISO/IEC 27001)の観点から見ても、これは「セキュリティ事故」レベルの欠陥だ。 機密性(Confidentiality)とは、「認可されていない人間に情報を見せない」ことだ。

  • 認可の不一致: 従業員は「統計データ」としての利用には同意したかもしれない。だが、「生殺与奪の権を握る上司への密告」には同意していない。
  • アクセス制御の無効化: 本来、「匿名化」という不可逆な壁があるべき場所に、意図的な「バックドア」を設置している。セキュリティポリシーをシステム自らが破っている。これは技術的な欠陥ではなく、設計思想の腐敗だ。

4. 労働契約法:信義則違反

  • 第3条第4項(信義誠実の原則): 「労働者及び使用者は、信義に従い誠実に…義務を履行しなければならない」。 従業員の「匿名だから言える」という信頼を逆手に取り、監視と選別の道具にする。これが「信義誠実」なわけがない。これは明白な裏切り行為だ。

リクナビ事件の「本質」との不気味な一致

2019年、リクナビ事件で個人情報保護委員会が断罪したのは何だったか。 「本人が予期しない目的で、個人の不利益になり得るスコアリングを行い、それを売り飛ばした」 ことだ。

今回のケースも、構造は全く同じだ。

項目リクナビ事件freeeサーベイ(懸念)
表向きの顔就職活動の支援従業員のSOS検知・ケア
裏の顔内定辞退の予知(企業防衛)離職予兆の検知(企業防衛)
手口Web閲覧履歴からのスコアリングアンケート回答からのスコアリング
罪深さ学生(まだ入社していない)従業員(生殺与奪の権を握られている)

リクナビ事件は「まだ逃げられる」学生が対象だった。今回は「逃げ場のない」従業員が対象だ。権力勾配を利用している分、こちらの方が遥かにタチが悪い。

freeeサーベイは「処遇AI」の本丸である

高木浩光氏の指摘通り、これは間違いなく 「処遇AI(Treatment AI)」 だ。

生成AIの著作権問題なんて、極論すれば「金」の話だ。解決策はある。 だが、処遇AIは「人の人生」を扱う。

「あいつは辞めそうだ」というAIのレッテル一枚で、不当な配置転換や冷遇が行われるかもしれない。しかも、本人はその理由を知る由もない。「匿名」という嘘でプロセスが隠蔽されているからだ。 決定の適切性も、異議申し立ての機会も、全てが闇の中だ。

結論:「信頼」を破壊して何がDXか

「お金で解決できること」と「できないこと」がある。 著作権侵害は金で償えるかもしれない。だが、破壊された「信頼」と、歪められた「キャリア」は戻らない。

「誰が書いたかわからない」からこそ、従業員は本音を言える。その最低限のルールをシステム的に破ることは、組織のコミュニケーション回路を切断することに等しい。 今後、このシステムを導入した企業の従業員は、アンケートに答えるたびに疑心暗鬼になるだろう。「これも監視されているのではないか?」と。

便利なら何をしてもいいのか。効率化のためなら嘘をついてもいいのか。 技術屋の端くれとして、そして一人の労働者として、このような「欺瞞的AI利用」には、明確な怒りをもってNOを突きつける必要がある。